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名古屋地方裁判所 昭和48年(行ウ)29号 判決

名古屋市昭和区安田通五丁目八番地

原告

水野正久

右訴訟代理人弁護士

竹下伝吉

山田利輔

名古屋市瑞穂区瑞穂町字西藤塚一の四

被告

昭和税務署長

右訴訟代理人弁護士

水野祐一

右指定代理人

森重男

平松輝治

太田健治

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

(原告)

被告が原告に対し昭和四七年七月八日付でなした昭和四五年分所得税の決定及び無申告加算税の賦課決定はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

(被告)

主文と同旨の判決を求める。

第二主張

(原告)

請求原因

一  被告は昭和四七年七月八日付で原告に対し次のとおり昭和四五年分所得税の決定及び無申告加算税の賦課決定をした。

(一) 譲渡所得額 二三、二〇三、〇〇〇円

(二) 所得金額から差引かれる金額 三七二、二二〇円

(三) 総所得金額 二二、八三〇、〇〇〇円

(四) 所得税額 一一、八三〇、六〇〇円

(五) 無申告加算税 一、一八三、〇〇〇円

二  しかしながら、右決定は所得の発生事実を誤認した違法なものであるから、その取消を求める。

(被告)

請求原因に対する認否

請求原因一の事実は認め、同二の事実は否認する。

課税処分の経緯及び根拠

一  原告は、昭和四五年三月三一日、愛知県愛知郡長久手村大字長湫字長配乙四八番の三九畑六、四八五平方メートル(以下「本件土地」という。)を訴外寺尾戸一ほか一名に譲渡したが、譲渡による所得の申告がないので、被告において調査したところ、原告の譲渡所得の申告洩れであることが判明したので、被告は、原告の昭和四五年分の所得税について請求原因一のとおり、国税通則法二五条により課税標準等及び税額を決定するとともに、同法六六条により無申告加算税を賦課決定し、昭和四七年七月八日付で原告に通知した。

二  原告は、右処分を不服として同年八月三一日被告に対し異議申立をしたが、調査の結果右申立には理由がないと認められたので、被告は棄却の決定をなし、同年一一月二七日原告にその旨通知した。

原告は、右異議決定を不服として同年一二月七日審査請求をしたが、国税不服審判所長は、譲渡所得の認定には誤りはないが税額計算の一部に誤りがあるとし、決定処分の一部を取消し、税額を一、一七七万六、六〇〇円、無申告加算税を一一七万七、六〇〇円とする旨の裁決をし、昭和四八年九月二一日頃原告に通知した。

三  本件土地は、もと、愛知郡長久手村大字長湫字長配乙四八番の五、畑四反四畝一四歩の土地(以下「本件旧地」という。)の一部で、この本件旧地は加藤兼次郎、瀬木本雄、加藤荒吉及び江場章(以下これらの者及びその相続人を「旧地主」という。)の所有農地であったが、昭和二二年三月三一日、自作農創設特別措置法に基づいて国に買収され、昭和二三年三月三一日、山田喜三郎(以下、単に「山田」という。)に売渡され、右売渡を原因として昭和二五年三月六日同人のために所有権保存登記が経由された。しかしながら、その後昭和三六年六月二八日に至り旧地主の一人である加藤荒吉の相続人加藤美名子から愛知県知事に対し前記買収処分の取消を求める陳情があり、愛知県は右陳情に基づき法外調停を実施したところ、原告はかねてより不動産取引仲間として前記山田と知り合いであったところから、山田の代理人として右調停に参加していた。

そして、右法外調停の結果、昭和四五年三月に至り、原告は、本件土地が先の買収処分を無効として旧地主に返還される見込であること、旧地主は右土地を速やかに第三者に売却する意向であることを知り、同年三月三一日、本件旧地の内の本件土地(分筆は同年三月一七日)を寺尾戸一ほか一名に代金三、九二四万円で譲渡する旨の売買契約を締結した。

他方、本件土地は登記簿上は前記のとおり山田の所有名義となっていたが、昭和四五年六月一九日、本件土地の前記買収処分は無効で真実の所有者は旧地主であるとの協議が、旧地主と山田の相続人(山田は同年三月二二日死亡した。)との間で成立した。そこで、原告は、同日、本件土地を旧地主から代金一、六〇〇万円で買受け取得し、その後寺尾戸一に直接移転登記手続を了した。

以上の、本件土地売買により、原告に本件譲渡所得が発生したものである。

なお、前記のとおり、本件においては、原告において本件土地を取得した時期が、これを譲渡した時期より後になっているが、これは、前記のとおり、原告が山田の代理人として自ら法外調停に参加しており、その過程で本件土地の取得の確実性やその時期や方法を知っていたからである。

また、原告が本件土地を取得した代価一、六〇〇万円と、原告がこれを寺尾外一名に譲渡した代価三、九二四万円との間には二、三二四万円という多額の差があるが、これは、旧地主が権利譲渡証書(甲第八号証)の作成当時(昭和四五年四月六日)、本件土地の実際の面積、時価等を知らなかったためである。まして、原告、寺尾間の売買の代価は知らなかったのである。そして、その後、実際の面積が公簿面積の三倍にも達することや、時価を知ったので、代価を右のとおり一、六〇〇万円に更改するに至ったのである。

四  本件課税処分における税額の計算根拠は、次のとおりである。

(1) 収入金額 三九、二四〇、〇〇〇円

(2) 取得費等 一六、〇三七、〇〇〇円

イ 取得価額 一六、〇〇〇、〇〇〇円

ロ 取得費用(測量費) 三七、〇〇〇円

(3) 短期譲渡所得金額 二三、二〇三、〇〇〇円

(4) 所得控除 三七二、二二〇円

(5) 課税所得金額 二二、八三〇、〇〇〇円

(6) 税額 一一、七七六、六〇〇円

((5)×税率×一・一(租税特別措置法三二条一項二号)

(7) 無申告加算税 一、一七七、六〇〇円

以上のとおりであるから、裁決においてすでに前記二のとおり一部取消されている後の本件処分に違法はない。

(原告)

被告の右主張事実に対する認否

右一のうち、被告主張のとおり、本件土地の譲渡及び本件処分のあったことは認める。同三のうち、被告主張のとおり本件旧地が買収され、売渡され、且つ、所有権登記及び分筆登記が経由されたこと、法外調停が実施され、原告が山田の代理人名義で右調停に出席していたこと、山田が死亡したこと、原告が被告主張の時期及び金額において本件土地を寺尾らに譲渡したこと、当時本件土地の登記簿上の所有名義が山田であったこと、原告が原告主張の日に旧地主に一、六〇〇万円を支払ったこと、その後寺尾のために所有権移転登記が経由されたことは認め、その余の事実は否認する。

原告の主張

一  原告は、昭和三七年一二月から昭和三九年三月までの間に四回にわたり、分割で、持分四分の一宛を、第一回は昭和三七年一二月に二〇〇万円(但し、同年五月に五〇万円の貸金をこれに加算した。)第二回は昭和三八年七月に一〇〇万円、第三回は同年一二月に一五〇万円、第四回は昭和三九年三月に七〇万円、合計五二〇万円を支払って、山田より、本件土地を包含する愛知郡長久手村大字長湫字長配乙四八番の五畑四反四畝一四歩(本件旧地)を買受けた(甲第三号証)。

二  本件旧地は、もと山田が自作農創設特別措置法により買受けたものであったが、昭和三〇年ころ以降旧地主が県に対し右土地の買収につき異議を申立て、買収の取消を要求したため、その後、県の係員ら立会のうえ法外調停が継続的に行われた。

三  この調停の当時、原告は、前記一の経過により、事実上本件旧地の所有者であったが、所有権移転登記が未了のため、山田の承認のもとに、関係者に対しては所有者は依然として山田であるとして、原告は山田の代理人たる立場で右調停に参加していた。

四  昭和三九年六月二日、長久手村役場で県の係員ら立会のうえ行われた法外調停において、山田及び同人の代理人である原告と旧地主との間で、(一)本件旧地につき、山田は二〇分の一一の持分を、旧地主は二〇分の九の持分を有することを確認する。(二)旧地主の一人である瀬木本雄の共有持分については、山田の持分の範囲内で同人の責任において処理する。(三)共有持分の分割は、昭和三九年八月末日までに双方立会のうえ実測により境界を決定する。との合意が成立し、その旨の念書が作成された(甲第一号証)。

しかし、この合意は、県の係員からこの調停に応じなければ行政処分により買収を全部取消すと強制され、且つ欺罔されてしたものであるから、無効である。

五  原告は、昭和四四年一二月一六日、山田との間で、前記一の分割売買につき、改めてこれを一括売買した旨の書類(甲第二号証)を作成するとともに、前記代金五二〇万円のほか更に五〇万円を追加して支払い、売買関係を明確にした。

六  原告は、昭和四五年三月一七日ころ、山田の代理人名義をもって本件旧地を、同所長配乙四八番の五と、同所長配乙四八番の三九(これが本件土地である。)とに分筆の上、同月三一日、本件土地を寺尾戸一ほか一名に代金三、九二四万円で売却する旨の売買契約を締結した。

七  しかしながら、原告は、本件土地につき、山田より所有権移転登記を受けていなかったため、山田の相続人(山田は昭和四五年三月二二日に死亡していた。)の協力を得なければ寺尾らに対する右売買契約の履行(移転登記手続)が不可能であったところ、旧地主は、山田の相続人と相謀り、原告において、前記念書(甲第一号証)による旧地主の権利を認めた上、相当の金員を支払わなければ山田の相続人より容易に所有権移転登記の同意を得ることができない状態であることを奇貨として、同年五月三〇日には一、六〇〇万円の支払を要求した。やむなく原告は同年六月一九日旧地主に対し本件土地の売買代金名義をもって一、六〇〇万円の示談金を支払って前記所有権移転登記の同意を得た上、寺尾に対する売渡契約の履行(移転登記手続)をしたのである。

而して、当時旧地主は、原告がすでに寺尾らに本件土地を代金三、九二四万円で売却している事実を知悉していたのであるから、若しそれまで旧地主が本件土地の真の所有者であったとすれば、これを僅々一、六〇〇万円の僅かな代価で原告に売る筈はないのである。このことから見ても、右一、六〇〇万円の支払が、旧地主において県に対し買収取消を主張していた関係上その示談金として支払われたものであることは明白で、これは山田の相続人から所有権移転登記の同意を得るため、やむなく支払われた経費である。

以上のとおりで、原告が本件土地を買受けた時期は昭和三七年ないし昭和三九年であって、昭和四五年六月一九日ではない。

八  以上の事実関係に基づいて算定すれば、原告に対する税額の計算は、収入金三、九二四万円から、山田からの買受代金五七〇万円、旧地主に支払った示談金一、六〇〇万円、山田の相続人に支払った移転登記費用四六〇万円の各経費を控除したものが譲渡利益となるべきもので、これから被告の認める控除額三七万二、二二〇円及び基礎控除額三〇〇万円を控除した九五六万七、七八〇円が課税所得金額であり、本件譲渡はいわゆる長期譲渡であるから、納付すべき税額はその一割の九五万六、七〇〇円となる。

(被告)

原告が税額の計算(原告の主張の八項)において主張する経費の内の、四六〇万円の移転登記費用について

これは、本件土地の登記簿上の所有名義が山田となっていたため、これを寺尾の所有名義に移転するためには、山田からその相続人に一旦相続登記を経由したうえ、原告を省略して中間省略登記の方法により寺尾に所有権移転登記をする方法が考えられた。しかしながら、この方法によるときは、山田の相続人に本件についての相続税及び譲渡所得税が課せられることが懸念されたので、もともと本件土地の真実の所有者である旧地主及び寺尾への転売人である原告があらかじめ山田の相続人に対し、所得税・住民税分として三〇九万〇、九二〇円、相続税分として一四二万〇、七一〇円の合計四五一万一、六三〇円を預託していたもので、これら税金の納付の必要がなくなったときは原告に返還する約定であった。ところが、現実には、山田への買収処分の取消を原因として旧地主へ所有権移転登記がなされ、その後(原告を省略して)寺尾へ移転登記がなされたので、旧地主が譲渡所得税について申告、納付することになった。その結果、山田の相続人には相続税も譲渡所得税も全く課税されなかったので、右預託金は当然原告に返還されるべきもので、これを本件における経費とすることはできない。

第三証拠

(原告)

一  甲一ないし第三号証、第四号証の一ないし四、第五号証の一ないし四、第六ないし第一二号証、第一三号証の一ないし三、第一四号証ないし第二一号証、第二二号証の一ないし三、第二三号証、第二四号証の一ないし三、第二五号証の一ないし三、第二六号証を提出。

二  証人寺尾戸一、同水野兼逸の各証言と原告本人尋問(第一、二回)の結果を援用。

三  乙第一ないし第六号証、第九、一〇号証、第一二ないし第一五号証、第一六号証の三、第一七、一八号証の各成立を認め、乙第七号証、第八号証の一ないし六、第一一号証についてはいずれも原本の存在及び成立を認め、乙第一六号証の一・二の成立は不知。

(被告)

一 乙第一ないし第七号証、第八号証の一ないし六、第九ないし第一五号証、第一六号証の一ないし三、第一七、一八号証を提出。

二 証人土川哲司、同伊藤忠輝の各証言を援用。

三 甲第一、二号証、第七ないし第一二号証、第一五ないし第二一号証、第二五号証の三、第二六号証の各成立を認め、甲第六号証についてはその原本の存在及び成立を認め、甲第四号証の一ないし四、第五号証の一ないし四、第二二号証の一については各官署作成部分の成立を認めその余の部分の成立は不知、その余の甲号各証の成立は不知。

理由

一  被告が原告に対し請求原因一記載の昭和四五年分所得税の決定及び無申告加算税の決定(本件処分)をしたこと、愛知郡長久手村大字長湫字長配乙四八番の五畑四反四畝一四歩の土地(本件旧地)は、昭和二二年三月自作農創設特別措置法に基づき旧地主から国に買収され、昭和二三年三月山田喜三郎(以下、単に「山田」という。)に売渡されたこと、右売渡を原因として山田のための所有権保存登記が経由されたこと、昭和三六年六月に至り旧地主の一人である加藤荒吉の相続人加藤美名子から愛知県知事に対し、右買収処分の取消を求める陳情があり、愛知県は右陳情に基づき法外調停を実施したところ、原告は右山田の代理人として右調停に参加していたこと、昭和四五年三月一七日に本件旧地が同所長配乙四八番の五と本件土地とに分筆されたこと、山田が同月二二日死亡したこと、同月三一日原告は右分筆後の本件土地を寺尾ほか一名に代金三、九二四万円で売却する旨の売買契約を締結したこと、原告が同年六月一九日旧地主に一、六〇〇万円を支払ったこと、その後、本件土地につき寺尾のために所有権移転登記が経由されたことは、当事者間に争いがない。

本件処分については、被告主張のとおり、異議申立及び審査請求があり、審査裁決において、税額計算の一部に誤りがあるとして処分の一部が取消され、税額を一、一七七万六、六〇〇円、無申告加算税を一一七万七、六〇〇円に変更されたことは、原告において明らかに争わないところである。

二  本件においては、原告が本件土地を取得した時期が主要な争点となるので、以下この点につき検討する。

いずれも成立に争いのない甲第一号証、第七ないし第九号証、第一五、一六、二六号証、乙第二、三、九、一〇、一二号証、いずれも原本の存在並に成立に争いのない乙第七号証、第八号証の一ないし六、第一一号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一三号証の一ないし三、同第一四号証、同第二五号証の一・二、証人寺尾戸一、同水野兼逸の各証言及び原告本人尋問(第一、二回)の結果(後記措信しない部分を除く。)並に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  原告は、昭和三五年ころ不動産取引の関係で山田喜三郎(山田)と知合い、以来同人と親密な交際を続け、本件旧地をめぐる交渉や協議については、山田を代理、代行していた。

(2)  本件旧地は、昭和二二年の買収当時公簿上の地目は畑となっていたが、現況は雑木林であり、昭和二三年に山田に売渡された後も、一部が開墾されたのみで大部分は放置されてあった。

そのため、旧地主は昭和三六年ころから本件旧地の買収の取消を県当局に要求したところから、県の係員ら立会の上、旧地主、山田間の法外調停が度々行われ、昭和三九年六月二日に至り、長久手村役場において、つぎの内容の合意が成立し、その旨の念書(甲第一号証)が作成された。原告は山田の代理人として同人とともに出席し、この合意及び念書の作成に参加していた。

(一)  本件旧地につき、山田が二〇分の一一、旧地主が二〇分の九の各持分を有することを確認する。

(二)  旧地主の一人・瀬木本雄の共有持分については、山田の持分の範囲内で山田の責任において処理する。

(三)  共有持分の分割は、昭和三九年八月末日までに双方立会いの上、実測により境界を決定する。

右調停の全期間を通じて、本件旧地を原告が山田から買ったというようなことが話題にのぼったことはなかった。

(3)  右の合意が成立したにもかかわらず、実測、分割の手続は全く進展しないまま放置されていたところ、原告は、本件旧地の現地を踏査した結果、本件旧地の実際の面積が公簿面積よりも相当広いことに気付き、昭和四四年七月頃、その事情を知らない旧地主との間で、旧地主は実測、地目変更、分筆等に関する手続処理一切を原告に委任し、その代償として、地積訂正の結果生ずる余剰土地を原告に無償で譲渡するとの契約を締結した。

(4)  昭和四四年八月、長久手村役場において、原告、山田、旧地主の立会いの場で、前記昭和三九年六月二日の合意が有効であることの確認がなされた。

(5)  そのころから、原告は本件旧地の測量にとりかかり、実測の結果、実測面積は一万二、九七〇平方メートルで公簿面積四、四〇九平方メートルの約三倍であることを確認した。

昭和四五年三月、本件旧地は同所乙四八番の五と本件土地とに分筆された。

(6)  原告は、前記(3)の契約により本件旧地の余剰部分を取得したとして、昭和四四年一二月一二日余剰部分の一部を菅原道夫ほか二名に売却する旨の売買契約を締結した。

(7)  山田は昭和四五年三月二二日に死亡した。

そのころ、原告は、山田三郎と共同して本件土地を売りに出し、同月三一日本件土地を代金三、九二四万円で寺尾戸一ほか一名に売却する旨の契約を締結し、同時に一〇〇万円の手附金を受領した。

(8)  そこで、原告と山田三郎は、昭和四五年四月上旬、旧地主に対し、旧地主が本件旧地について有する約二分の一の共有持分を譲渡するよう強く求め、そのころ両者間にその旨の合意が成立した。その際契約の証として旧地主から原告に差入れた「権利譲渡証書」(甲第八号証)には、旧地主が右持分を代金八八〇万円で原告に譲渡する旨の記載がある。

(9)  これと前後して同年四月五日、原告は、山田の相続人山田耕二ら方を訪れ、「過去六回にわたって原告から受取った合計五七〇万円を代金として本件旧地を原告に譲渡する。」旨の昭和四四年一二月一六日付山田喜三郎作成名義の「証」(甲第二号証)の写しを示して、「喜三郎には五七〇万円の金が貸してある。このほかにも二五〇万円ほど金が貸してある。」と告げ、貸金の内容、弁済期は明確にしないまま、「利子は負けておいてやる。」と言いながら、本件土地について地目変更、譲渡、所有権移転登記手続を原告に委任する旨の委任状に捺印するように求めた。しかし、右相続人らは、暫時の猶予を求め、後日調査の結果、右「証」による譲渡は存在しないとの結論に達した。

(10)  他方、昭和四五年四月中旬、寺尾戸一は、山田三郎の仲介により、本件土地を更に高値で株式会社橘に転売した。その結果、右買受人から移転登記の履行を強く請求され、原告・山田三郎・寺尾らは、早急に本件土地の登記手続をなすべき必要に迫られた。

(11)  ところが、旧地主は、同年四月一七日、山田の相続人と会合した際、地積訂正の結果本件旧地の面積が従前の公簿上の地積の三倍にも増えていることを聞いて驚き、また前記(8)の契約の代金の支払いがないことを不満に思っていたことから、まもなく、原告に対し右(8)の契約を解除する旨通告した。

(12)  そこで、原告、山田三郎、寺尾戸一らは、事態を打開すべく、入れ替り立ち替り、旧地主及び山田の相続人を訪れ、強硬に交渉を重ねた結果、昭和四五年五月三〇日に至り、原告と旧地主及び山田の相続人との間で、原告は旧地主から前記(2)の昭和三九年六月二日の合意に基づく旧地主の権利に該当する本件土地の譲渡を受けるのと引換えに一、六〇〇万円を旧地主に支払うこと、原告は前記「証」(甲第二号証)が事実と相違する無効のものであることを認め、これを右相続人に返還すること等の合意がなされ、後日現金の授受、右書類の返還等を行なうこととなった。

(13)  かくて、昭和四五年六月一九日、原告、旧地主、山田の相続人山田耕二(他の相続人の代理人を兼ねていた。)は、山田三郎、寺尾戸一、株式会社橘代表者安藤忠政ら立会のうえ、右(12)の合意を確認し、あらためて、本社土地は旧地主の所有、分筆後の四八番の五の土地は山田の相続人の所有であることを確認のうえ、本件土地は、旧地主から原告に右合意のとおり譲渡する旨の契約を締結し、代金一、六〇〇万円の授受を了した。同時に旧地主である加藤美名子、加藤大一朗、江場章、瀬木房子から原告に対し、右契約の証拠として「今般私共四名は貴殿に対し右土地を代金壱千六百万円也で売渡し本日この代金全額を受領致しました」との記載ある旧地主作成名義の「売渡書」(甲第九号証)が差入れられた。

その際、原告は、前記「証」(甲第二号証)を返還するかの如き態度で、右「証」と外見の似ている別の書面を山田耕二に交付した。山田の相続人らは原告からこの返還を受け、全てが解決したものと思っていたのに、意外にも前記「証」は依然として原告の手元にあることが後日判明した。

以上の事実が認められる。

原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲諸証拠に照らして措信し難い。

つぎに、甲第二号証(証)は成立に争いがないのであるが、前記(12)(13)に認定のとおり、この記載内容については山田の相続人がこれを否定しており、すでに昭和四五年五月三〇日原告自身も旧地主及び山田の相続人との間でこれが事実と相違する無効のものであることを確認しているのであるから、その記載内容は容易に措信し難く、これをもって前記認定を覆すことはできない。

また、甲第三号証(メモ)は原告本人尋問(第一回)の結果により原告の作成したものと認められるが、その内容は、原告自身のメモに止まるもので遽かに措信し難く、これをもって前記認定を左右することはできない。

原告は、前記(2)の合意が県係員の強制ないし欺罔に因り無効であるというのであるが、その事実を認むべき証拠はない。却って前記(3)、(4)、(12)に認定のとおり、原告は、右合意を前提として、旧地主から本件旧地の地積訂正による余剰地の無償交付を受け、右合意に基づく旧地主の権利の有償譲渡を受ける旨の契約を自ら締結しているのであるから、これらの事実、経過からすれば、むしろ、そのような無効な事由はなかったものと推認される。

また、原告は原告の買受時期がその売却時期より後であるとするのは不合理であると言うけれども、前記認定のとおり、原告が本件土地を取得したのは転売を目的としたものであり、且つ、前掲甲第八、九号証、乙第一〇号証によれば、旧地主は本件旧地との地縁が薄く、土地の状況や時価もよく知らず、土地そのものにはさほど執着していなかったことが認められ、かような事情は前記法外調停の場を通じて当然原告に了知されていたものと推認されるのであって、かかる状況下に在った原告としては、よい買手があればまずこれに本件土地を売却しておき、しかる後に旧地主に対し本件土地の譲渡を求めることにより転売の目的を達することが出来る訳であるから、原告の買受時期がその売却時期より後であっても不合理ではない。

また、原告が本件土地を取得した代価とこれを売渡した代価の間には二、三二四万円という大きな差額があるが、これは、前記乙第九、一〇号証及び証人寺尾戸一の証言によれば、昭和四五年四月上旬原告と旧地主との間に前記(8)のとおり代金八八〇万円の合意が成立した時点においては、旧地主は、本件旧地の面積が地積訂正の結果約三倍にも増加している事実及び原告がすでに本件土地を代金三、九二四万円で寺尾らに転売している事実を全く知らなかったが、後日右事実を知るに及んで、余りにも原告の儲け過ぎになるから右代金を増額するよう原告に要求した結果前記(11)(12)に認定の経過の後に、同年六月一九日になって代金を一、六〇〇万円とする本件土地の売買契約が締結されるに至ったことが認められるから、この事実をもって前示認定を妨げることにはならない。

他に、前示認定を覆すに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、原告が本件土地を取得した時期は昭和四五年六月一九日と認むべきものである。これが昭和三七年ないし昭和三九年の間であるとする原告の主張は採用できない。

三  税額の計算

本件土地の売買における原告の収入金額が三、九二四万円、取得価額が一、六〇〇万円であることは前記認定のとおりであり(原告は本件土地の取得費として買受代金の五七〇万円を主張しているが、前記二に明示のとおりその主張の前提となっている売買が認められないのであるから、これが本件土地の取得費となり得る余地はない。)、その取得費用(測量費)が三万七、〇〇〇円であることは被告の自認するところである。所得控除額が三七万二、二二〇円であることは当事者間に争いがない。

原告は、経費として移転登記費用の四六〇万円を主張しているが、成立に争いのない甲第二一号証、乙第一二ないし第一五号証、第一六号証の三、第一七号証、証人伊藤忠輝の証言により真正に成立したと認められる乙第一六号証の一・二及び同証人の証言によれば、本件売買に関しては、被告主張のように、山田の相続人に対する将来の課税を予想、懸念し、原告の負担分としてあらかじめ山田の相続人に所得税・住民税分として三〇九万〇、九二〇円、相続税分として一四二万〇、七一〇円の合計四五一万一、六三〇円を預託していたもので、現実には、本件土地の買収処分の取消を原因として登記名義を旧地主に回復したうえ、原告を中間省略して、寺尾へ移転登記がなされたため、旧地主において譲渡所得税を納付することとなり、山田の相続人には譲渡所得税、住民税、相続税のいずれも全く課税されなかったことが認められるから、右預託金は当然原告に返還されるべきものであり、本件売買における経費に算入することはできない。

以上の事実関係によれば、原告の納付すぺき本件税額は一、一七七万六、六〇〇円(租税特別措置法三二条一項二号)、無申告加算税は一一七万七、六〇〇円(国税通則法六六条一項一号)となる。

四  そうすれば、右と同額となっている本件処分(審査裁決において一部取消後のもの)に違法はなく、原告の主張は理由がない。

よって、原告の本訴請求を失当として棄却すべく、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決した。

(裁判長裁判官 藤井俊彦 裁判官 窪田季夫 裁判官 山川悦男)

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